端午の節句の歴史
端午の節句の歴史
5月5日を端午の節句として厄除けをしたという記録は、「続日本紀」の中に宮中行事としてはじめて登場します。奈良時代の聖武天皇(733年頃)の時代にあたります。そのころはまだ五月人形を飾る風習はなく、邪気を祓うための、うまゆみ(流鏑馬(やぶさめ))の儀式でした。これは、馬の上から弓を射る儀式です。ほかにも菖蒲を飾ったり、皇族や臣下の者たちに薬草を配ったりしていたそうです。端午の節句は子どもに限らず厄除けの大事な日だったのです。5月5日に菖蒲湯をたてて入るのも、無病息災を念じたものです。
五月人形とのつながり
鎌倉時代の武家政治へと移り変わっていくにつれ、武士の間では尚武(しょうぶ=武を尊ぶ)の気風が強く、「菖蒲」と「尚武」をかけて、端午の節句を尚武の節日として盛んに祝うようになりました。やがて江戸時代に入ると、5月5日は徳川幕府の重要な式日に定められ、大名や旗本が、式服で江戸城に参り、将軍にお祝いを報じるようになりました。
また、将軍に男の子が生まれると、表御殿の玄関前に馬印(うましるし)や幟(のぼり)を立てて祝いました。このような時代の変遷の中で、薬草を摘んで邪気を祓うという端午の行事が男の子の誕生の祝いへと結びついていったと考えられます。やがてこの風習は武士だけではなく、広く一般の人々にまで広まっていきます。はじめは、玄関前に幟や吹き流しを立てていたものが、やがて厚紙で作った兜や人形、また紙や布に書いた武者絵なども飾るようになっていったのです。さらに江戸時代の中期には武家の幟に対抗して、町人の間では鯉のぼりが飾られるようになりました。
飾る時期
ひな祭りが終わったら早めに飾って下さい。ぎりぎりになって、慌ててお節句前夜に飾るのは「一夜飾り」と言って縁起が悪いとされますから、控えましょう。初節句の場合は早くから飾っていただいても構いません。
端午の節句とちまき
端午の節句の食べ物としては、柏餅やちまきを思い浮かべます。これらは日本で最も古い形をのこしたものといわれています。なかでも、端午の節句のちまきにはこんな伝説があるのです。中国では戦国時代、紀元前278年のことです。楚(そ)の国の有名な詩人、屈原(くつげん)は国王の側近としてつかえ、人々からも慕われていました。しかし陰謀のため国を追われることになった屈原は、ついに汨羅(べきら)という川に身を投げてしまったのです。その日が5月5日。屈原の死を悲しんだ人々は、たくさんのちまきを川に投げ入れて弔いました。この物語が端午の節句にちまきを作って食べるという風習の起源だといわれています。
端午の節句パ-ティー
双方のおじいちゃま、おばあちゃまや親しいお友達、また初節句のお祝いを頂いた方もお招きしましょう。演出には、邪気を祓うとされる菖蒲を生けたり、部屋の壁に小さな鯉のぼりをはりつけたり吊るしたりするのもいいでしょう。そして、自分でおった紙かぶとをかぶせたり、菖蒲で編んだ王冠をつけたりするのも楽しいですね。
